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2010年12月24日

京都文教大学(サイン工事)

みなさん、こんにちは!
アルミ鋳物メーカーの傳來工房の杉村です。

今回の「傳來工房 探訪日記」は京都でのお仕事です。

京都は「学生の街」と言われるほどに多くの大学が点在する街です。
近年では府下や他県に転出される学校も増えてきました。
大学移転の理由は様々あるでしょうが、非常に残念な事です。

大学時代を京都の街で過ごした学生さんが、
数年後、彼女や彼氏と思い出の地として訪れたり、
また家族を連れて、「この定食屋に世話になったぁ」とかとか。
そんな思い出の地になるのが「学生の街 京都」の良い一面であると思うのですが。。

さて、今回、ご登場の学校は「京都文教大学、短期大学」です。

場所は京都は宇治市。
宇治市といえば、全国でも有数の高級茶葉の産地です。
私個人としては、抹茶チョコに、抹茶アイスに、抹茶シフォンに。。。
と、グリーン系スィーツを真っ先に思い出してしまいます。

特に創業150年の老舗、中村藤吉本店の生茶ゼリイは
我が家の夏の定番スィーツとなっています。

おっと、橋本専務の「観る、食べる、買う」コーナー状態になっとりますな。

そうそう、10円硬貨の表面の「鳳凰堂」も宇治市にあります。

と、前置きが長くなってしまいました。

京都文教大学様には昔からお世話になっております。
大学の歴史としては15年くらいなのですが、
学校としての歴史としては100年以上経っています。

今回は、新校舎への設置銘板として、
ステンレス製の箱文字、そして学校の校章を製作させて頂きました。
施工は竹中工務店様。


大きさは一文字が650角、校章は1800角です。
素材はステンレス製でウレタン樹脂塗装をメインに仕上ています。
製作前にモックアップとして、原寸大の文字コピーを作り、
実際に壁に吊りこんで大きさや、デザインを確定し、製作に進みました。

この他、京都文教大学様へはモニュメントや、学校銘板、サイン板等
数多くのお仕事をさせて頂いております。


今年も「傳來工房 探訪日記」をご覧頂いて、ありがとうございました!
毎月、専務の橋本と一緒に続けて来た日記も4年半を迎えます。
来年もパワーアップして傳來工房の歴史を綴って行こうと考え中!
ご期待下さい!

2010年12月21日

三重県松阪市の仕事

京都のアルミ鋳物専門メーカーの傳來工房専務の橋本です。

皆さん、三重県松阪市と言えば何を連想されますか?

もちろんこれですね。

《松阪牛》 


そしてその元祖 和田金(わだきん)

松阪市内に入ると、至るところに和田金さんの看板が目に入ります。

《和田金電柱看板1》


世界中のグルメに鳴り響く牛肉ブランド《松阪牛》を有名にした
明治11年創業の老舗です。

《和田金本店》


そして和田金本店です


施工:竹中工務店名古屋

この外装の庇瓦(ひさしかわら)をオーナー指名により
アルミ鋳物(アルミキャスト)で我々傳來工房がお手伝いしました。

《アルミ鋳物瓦 

《アルミ鋳物瓦◆

低層部のアルミ鋳物瓦棒軒先には、和田金さんの紋が入りました。

《アルミ鋳物瓦低層部》


もちろんアルミ鋳物製です。

《アルミ鋳物製紋入り瓦》


なぜ、この建築の瓦にアルミ鋳物が使われたか・・・

その理由は、オーナーの松田社長が

「瓦を使う意匠は賛成だが、台風など外部要因で
瓦を飛ばし、ご近所には絶対に迷惑にならないように」と
強いご意志が第一の理由です。

その他メンテフリーなどのご要望もありましたが、
材質や仕上げ、耐久性など大変こだわりをお持ち
アルミ鋳物をご承認いただきました。

そう言えば、オーナーご夫婦とご子息でわざわざ京都まで
アルミ鋳物製品検査、工場見学に来ていただきました。

大変ありがたく感謝しております。

この本店が完成してから、社員による施工見学会で
和田金さんへ見学ついでに《寿き焼き》(和田金さんではすき焼を
このように書きます。)を食したのも良い思い出です。


上等でしたが、美味かったなァ〜


では、いつもの

《あとがき》

お時間のある方だけどうぞ


松阪で もう一つ牛肉の他で連想できることは・・・

三井グループの方なら簡単ですね。

私は、全く知りませんでした・・・・

少し、解説を

案内看板には、三井家発祥の地と書かれていますが
正しくは、旧三井財閥の三井グループ創始者の生誕の地です。

この松阪で創始者となる三井家一族が酒・味噌などを扱う「越後屋」を創業。


その一族の「三井高利」が素晴らしい商才を発揮した。

京都から反物を仕入れ、江戸本町で呉服店「越後屋」を創業。

事業拡大により両替商にも展開。その後、三井財閥へと発展していく。

呉服店は、「三井」の「越後屋」から名を取り、「三越」と改名改組し、
現在の三越百貨店に至る。
(なるほど・・・)


三越の前身となる越後屋の事業拡大の最も大きな要素は、

従来の呉服屋販売方法の常識を覆した
「現銀掛け値なし」という新商法を掲げ実践されたことと書かれてあった。


簡単に言うと、「現金正札販売」だ。
これを三井高利は、国内で初めて考えついた。

当時、呉服屋は、大名、武家を対象に反物見本を見せながら売る販売や
わざわざ先方へ訪問する外商中心だった商い方法を
店頭で一般庶民相手に定価を決め現金販売した。

これにより、
大名武家相手なら6月12月の年2回の掛売りによるロスが
一般庶民なら現金で販売できるため、
現在の財務でいうキャッシュフローが改善し、販売価格にも反映した。

とにかく、価格が明確で商品も店頭で色々選べた。

そのため、庶民から大変に人気があつまり、大繁盛した。

どんな時代も
的確なマーケティングと
競合他社との明確な差別化を
お客さまの喜ばれる視点で実践すれば
成功するはずです。
 
松阪に行き、色々と勉強になりました。

三井グループの創始者三井高利生誕の地
 三井家正門(松阪市)