メニューページ ブロンズ・アルミキャスト ディーズガーデン 会社案内 工場紹介 サイトマップ お問合せ
ブロンズ・アルミキャスト

ブログトップ

« アルミ鋳物外装パネル | メイン | 弘法大師のお母さん »

2008年11月14日

同志社礼拝堂

アルミ鋳物、ブロンズ鋳物専門メーカーの
傳來工房専務の橋本昇です。

1854年吉田松陰がペリー艦に忍び、密航を嘆願したが拒絶され幕府に捕まった。

その10年後、22才の若者が大きな志を持って単身アメリカへの密航に成功した。


《写真 新島襄》
新島 襄(にいじま じょう)1843-1890 安中藩出身(現在の群馬県安中市)


鎖国時代、単身で英米の密航に成功し、
後に大きな功績を残した話はこの若者以外に聞かない。

薩長両藩の優秀な若者達は藩のスポンサー付き密航であったし、
ジョン万次郎は遭難がきっかけだった。
その他は幕府から許しを得た正規の留学であった。

大志を持って渡米した新島襄に
心うたれたアメリカのキリスト教プロテスタントの人々が援助した。

新島襄は、日本を近代化するには、西洋文化や技術を取り入れるだけではなく
自主独立の人民を育成しなければとならないと結論付け、
キリスト教主義によるリベラルアーツカレッジを計画した。

それが現在の同志社である。

その象徴となるチャペル(礼拝堂)が1886年に完成した。

「礼拝堂は同志社の精神」というように、
新島が目指した「良心教育」のシンボルでもあった。


《同志社礼拝堂》
設計:D.C.グリーン 施工:三上吉兵衛
資金:アメリカ海外伝道教会(アメリカン・ボード)
現存するプロテスタント諸教会では最古の礼拝堂で重要文化財指定。

100数年が経過し、1987年から京都文化財保護課が中心となり修復復元がされた。

その時、私はやはり明治に建設された辰野金吾設計の
元日本銀行京都支店(重文:現京都府文化博物館)の大型シャンデリアなど
意匠金物復元していた頃だと思うがその担当官から相談を受けた。

当社で担当したのは、最上部の棟飾りと端部飾り避雷針。


《意匠大棟飾り》

材質は、軽量化と錆び対策によりアルミ鋳物(アルミキャスト)を提案し採用された。

《意匠玄関上部棟飾り アルミ鋳物 アクリルウレタン樹脂塗装》

この仕事には、特に心を込めてお手伝いした。

《余談》

この復元工事途中、
礼拝堂横の我が母校同志社中学校の谷川校長に挨拶に行った。

「橋本くん、誇れるエエ仕事してくれよ!」と励ましのお言葉を頂き、
大変喜んでくださったのがとても嬉しかった。

思春期の中学生当時、毎朝の礼拝は退屈な空気が流れていたが、
なぜかこの讃美歌の時だけは
いつもより生徒の声がチャペルの内部に大きく響いたように覚えている。

  《讃美歌312番》

♪ いつくしみ深き 友なるイエスは 

  罪科(つみとが)憂いを 取り去り給う

  心の嘆きを 包まず述べて

  などかは下ろさぬ 負える重荷を ♪

《追伸》
最近、同志社OBの大先輩や同級、後輩からこの探訪日記を見ていると
嬉しい連絡を頂戴し恐縮する中、母校の紹介を僭越ですがさせていただきました。
今出川キャンパスでの皆さんの紅顔時代を思い出していただければ幸いです。