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2013年12月26日

戦国時代

アート&デザインのブロンズ鋳造専門の
京都傳來工房副社長の橋本昇です。

今年も数日で幕を閉じ、新年を迎える準備にご多忙の事を存じます。

今年も皆様からたくさんのお仕事を中心に、
新しい出会いやこの探訪日記に対して
あたたかいお声をお掛け頂き心より御礼申し上げます。

さて私の、新年の楽しみの一つは、NHK大河ドラマです。
今回は、岡田准一演じる「軍師 官兵衛」



戦国の世を巧みな知力で信長、秀吉、家康に重用された人物だけに
歴史的なエピソードも数多くあり、期待できるのでは・・・

時代的には、安土桃山時代。

元号のほとんどが「天正てんしょう」であったため
この時代を「天正時代」を呼ばれることもある。

そう云えば、来賓をご案内する傳來工房の第一応接室に
「天正時代」を記するものを思い出した。



この棚に・・・

蝋型鋳金(ろうがた ちゅうきん) 傳來工房
天正壱十弐年 

材質は、昔で云う砲金(ほうきん)。
今の青銅、ブロンズに近い地金による鋳造銘板です。

蝋型鋳金とは、ゴルフクラブのヘッドなどを鋳造する
現在のロストワックス鋳造法の原点であり、
鋳造法の中では最も精密な技法です。

ここに傳來工房のルーツを確認することができます。


天正壱十弐年(1584年)を年表で調べると
あの「小牧・長久手の戦い」が勃発した年。

残念ながら、黒田官兵衛はこの戦いには関わって居らず、
この翌年から秀吉の参謀長というべき「軍監ぐんかん」の立場で
四国、九州平定を行った。

傳來工房の歴史視点からみると
この天正壱十弐年は、浄土真宗本願寺派総本山が
大阪からまだ京都七條堀川の西本願寺に移られる直前の時代であり
戦国の荒波に巻き込まれながらも
生き抜く信仰の力を感じます。

《あとがき》 お時間があれば・・・

数十年前、司馬遼太郎が官兵衛を描いた
「播磨灘物語」が面白く、二度ほど読んだ。

司馬さんは官兵衛を単なる知恵者の英雄扱いでなく、
作られた怪しげな出生をからかいながら
時代を先読みする狡賢い知恵をたしなめた。

しかし、何よりも何回も裏切られても
人を裏切らない官兵衛の見事な行動力を讃えた。

その逸話が残っている。
秀吉が晩年、側近に「次の天下人は誰か?」と問い、
「家康」「利家」の声の中、
秀吉が「次の天下をとるのは、黒田官兵衛」と言った。

これを股聞きした官兵衛は秀吉を恐れ、
すぐに家督を長政に譲り、黒田如水として得度しようとした。

ここに官兵衛の生き方の真骨頂が見られる。

最後に官兵衛の言葉から

「人に媚びず、富貴を望まず」

来年も皆様にお役に立て、
喜んでいただけるもの創りに注力いたしますので
傳來工房を引き続き、宜しくお願い申し上げます。


2013年12月17日

東京 日本橋 ブロンズ銘板

皆さま、こんにちは!
アルミ鋳物メーカー、傳來工房の杉村です。

東京は日本橋です。
東海道・中山道等五街道の起点となりました。
現在も国道1号線等の起点になっていますね。

ちなみに大阪にも日本橋って地名があるのをご存知でしょうか?
でも大阪で日本橋と言えば「でんでんタウン」です!!

西の秋葉原なのです!
規模的には秋葉原には劣りますが
学生の頃は私もよくウロツイテおりました。

東京の日本橋に戻りますが、「道路元標地点」の碑は
アルミ鋳物メーカー、傳來工房鋳作です!!

この元標からちょいと上がる(注1)と、
(注1:上がる=北へ行く(京都弁))
旧三井信託銀行の本店が三越さんの横にドドドーンと現われます。

建物は平成10年に重要文化財に指定されたそうです。
旧三井信託銀行の本店であり、大正13年4月に開店。
現在では合併をして三井住友信託銀行となっています。

さて、傳來工房にてお世話になったのは、
玄関ファサード部の左右に設置されている銘板です。

W2700×H300×D400〜600のブロンズ鋳物製です。
正面に向かって緩やかにアールが付いているのが分かるでしょうか?
R5000のアールです。

文字は日本語表記と英語表記の2種なのですが、
何故か、なぜか、英語表記では「SUMITOMO MITSUI」になっています。
はて?さて?


歴史的にも由緒のある東京日本橋。
ブラブラと散策するのが楽しい街です。

それでは、皆様! 
来年度も「探訪日記」ご贔屓に!!