アルミ鋳物専門メーカーの傳來工房専務の橋本昇です。
母の墓のある高台寺さんにお墓参りに行くと
近くの坂本龍馬や中岡慎太郎のお墓にも時々寄ります。
しかし幕末の志士達は、倒幕をもくろんだ攘夷派だけではなかった。
日和見の多い徳川幕府側にも将来の日本を見据えた人物がいた。
軍艦奉行 勝 海舟(かつかいしゅう)
海舟が将軍家茂に海外と対等に付き合うために海軍の必要性を説いた話は
有名だ。海舟の素晴らしいのは、そのために海軍の人材を育成する学校の
提言をしたことだ。
それが「神戸海軍操練所」として文久3年(1864)に開所された。
明治維新後、
この建物が解体されこの地に明治6年神戸税関(神戸運上所)が建築された。
当時の神戸村住民は、「異国情緒たっぷりのなんとハイカラな建物」と
思ったことでしょう。
その後、大正時代に消失し昭和2年にその地に現在の神戸税関が出来た。
神戸税関保存再生 設計:日建設計・建設省近畿地建 1999年
阪神大震災の影響もあり傷みも激しく一時は撤去の計画もあったらしいが
地元の強い要望により復元保存することとなった。
われわれ傳來工房は、本格的な意匠門扉をアルミ鋳物でお手伝いした。
国際都市神戸にふさわしい意匠でシンプルだが風格がある。
神戸港の潮風でもまったく腐食など影響のないアルミ鋳物を素材を使い
京都本社工場で鋳造した。
一般的には門扉は閉めた状態での意匠を重要視されるが、
今回はオープン状態での壁との収まりとディティールに工夫した。
担当設計部長が日建設計の川島克也氏で、そう言えば西陣生まれの
生粋の京都っ子だった事を今思い出した。
アルミ鋳物について高い見識をお持ちの建築家だった印象があり、
しばらくご無沙汰だがお元気だろうか・・
《余談》
神戸税関保存再生の仕事でここに前述の「神戸海軍操錬所」にあったことを知り、
勝海舟のべらんめぇ調の口述書物「氷川清話」を当時読んだ。
独自の国防論を持っていた海舟は、大阪で私塾「海軍塾」を主宰していた。
のちに「神戸海軍塾」となり門下生の中に塾頭として坂本龍馬がいた。
氷川清話には、この龍馬が最初会った時には自分を殺しに来たが
これからの国のあり方や考え方を説き、龍馬が共感し帰った談がある。
凄い。
その後、龍馬を除く多くの塾生がこの新しく出来た幕府直轄の「神戸海軍操練所」
に移った。血の気の多い生徒の暴走や反海舟派の策略もあり、1年足らずで閉鎖
され、海舟も軍艦奉行罷免、蟄居となった。
龍馬には、これが人生の引き金となった。
幕府に失望した塾生達には金も力も何もなかったが国を変革する熱い思いだけで
亀山社中、海援隊を立ち上げ歴史を作っていく。
維新後、海舟の教え子だった陸奥宗光は外務大臣となり、
伊東祐亭は初代連合艦隊指令長官となり明治に活躍した。
しかし、海舟は育てた龍馬の暗殺による死を一番惜しがったに違いない。
