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2014年10月29日

別子銅山

新居浜市に「別子銅山記念館」という住友グループの施設があります。

別子銅山って中学生の頃か、学校の歴史で習った記憶がございませんか?
住友グループの源流となった当時世界一の産出量を誇る銅山です。

財閥であった住友グループの発祥の地は京都で、
住友家の所蔵する美術品を納めた「泉屋博古館」が
紅葉で有名な永観堂の近くにあります。

紅葉と言えば、神社仏閣に映える季節がやってまいります。
紅葉と言えば永観堂、永観堂と言えば紅葉ってくらい、
京都では群を抜いた名所です。

「そうだ、京都行こう。」ですよ!

さて住友家ですが、企業グループとしての発祥の地は
愛媛県、新居浜市なのです。

ここに「別子銅山記念館」が有ります。

傳來工房の仕事としては、
住友金属鉱山様が施主となり、
住友家16代目当主の詩をブロンズ鋳物に刻みました。

「亜硫酸吐きし煙の無くなりて島はよみがへる人も草木も」

75年前に活版印刷にて製本された詩集の一句なのですが、
お施主様が当時のままのフォントを使いたいとの御希望。
既存のフォントベースにイラレで形を変えて鋳造しました。

この銅山が住友グループの源流となっており、
山を切り開く部署が住友建設(現三井住友建設)となり、
切り開き採掘する重機を扱う部署が、住友重機械工業となり、
木々を伐採して加工した部署が、住友林業となり、
精製時の煙害対策をした部署が住友化学へと発展していったそうです。


2014年10月09日

京都の現代建築と現代彫刻

アルミキャスト、ブロンズキャストによる
モニュメント・アートワーク専門メーカーの京都傳來工房副社長の橋本昇です。

一昨日、2014年度ノーベル賞物理学賞に青色LEDを開発された
中村修二氏(60)、赤崎勇氏(85)、天野浩氏(54)の3名の受賞が報道されました。

今回の物理学分野の受賞は基礎研究ではなく、
我々の生活に直結する内容だけに大変興味深く感じた人も多かったと思います。

さて、建築家にとって最高峰の賞である《プリッカー賞》は、
建築分野のノーベル賞と云われています。

日本人も過去6名のプリッカー受賞者を輩出し、
今回は、その中で京都の仕事をされたある建築家に関わる
傳來工房の仕事の紹介です。

槇文彦氏 (1928年〜) 
1993年 フリッカー賞受賞

京都で槇先生の作品と云えば

《京都国立近代美術館》1986年


「ポストモダン」と云う言葉だけでは、おさまらない
髄所になんとも「槇デザインらしさ」を感じさせる私も大好きな建築です。

平安神宮のの大鳥居横にありますが
何の違和感もない、それどころか共生している
槇先生独特の現建築デザインの凄さに驚きます。

さて、本題ですが
この作品から5年前に
実は京都に槇先生の作品が竣工されていました。

《ABL 京都クラフトセンター》1981年

京都の中心地祇園の一力茶屋から
四条通りをはさんで斜め北に位置します。

当時の施主は京都祇園の老舗酒屋さんで
全館を京都のものづくりのパイロットショップとして
京都クラフトセンターが入りました。

傳來工房も京都のものづくりの一社として参加し
弊社前会長(故人)が京都クラフトセンター副理事長をお請けし
永年に亘り運営のお手伝いをいたしました。

のちの、このビルのシンボルとなる
槇建築と見事にマッチした現代彫刻がフロントに設置されました。

《朱面》 彫刻家 清水九兵衛(きよみずきゅうべい)(故人)

作家の清水九兵衛先生は
日本人として世界から評価された数少ない現代彫刻家の一人です。

祇園に設置されるだけに、
朱色の顔を意味する作品名は色々な受け取り方がありますね。

この作品をわが傳來工房が製作設置いたしました。

ここまでならいつもの傳來工房の仕事の話なのですが、
このビルのリニュアルに伴いこの作品を傳來工房が譲ってもらい
本年5月に傳來工房京都本社工場内に設置いたしました。

大変貴重な作品だけに大切にし、楽しませていただきます。


《余談》
今回のノーベル賞受賞者で日本人受賞は、計22人になると報道されていました。

その中に、私の中学校の先輩である江崎玲於奈先生(物理学)も含まれ、
当時私が高校生の頃で、受賞された時(1973年)は
大変嬉しく、大きな励みになったことを思い出します。