専務の橋本がブロンズ像等のブログを
作家先生との思い出を交え語っているのを読みながら
私としても何か厳かな話題をここらで一発書いておかねば。。と、
思い立ったが吉日!
今回は「西園寺公望公ブロンズレリーフ」という話題にて2回連載を企んでます。
西園寺公望(1849年〜1940年)
名前は聞いた事あるなぁ、と言う人の為に軽くおさらいです。
(私も調べながらほぅ、ほぅ、へぇ〜と。。)
明治15年、当時の内閣総理大臣であった伊藤博文が
憲法調査のためにヨーロッパを歴訪した際、
それに随行したことで西園寺公望の政治活動がはじまる。
第12・14代の内閣総理大臣を経て
「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼(ほひつ)し、
大正末期から昭和初期にかけて、後継首相推薦の任にあたった。
さて、西園寺公、偶像崇拝を嫌がり自分の彫像を造る事は無かったらしいが、
東京の神田駿河台の本邸だけに、彫刻家の武石弘三郎作による銅像が建てられていた。
しかし、関東大震災で本邸と共に破損をしてしまった。
西園寺の別邸を設計した建築家が破片を掘り起こし、繋ぎ合わせ、石膏像を復元。
西園寺の死後に西園寺がよく散策していた土地の
清水市、清見寺へ寄贈したのが昭和15年(1940年)。
時は流れて西暦2001年。
清見寺の副住職がお寺の押入れを掃除していたところ、
木箱に入った石膏の西園寺公を偶然に発見。
「なんじゃこりゃぁ〜!」と、松田優作になった副住職(この行、あくまでも杉村の想像です)
新聞にも載りました。
さてさて、ここで学校法人立命館さんの登場です。
実は西園寺公、現在の立命館大学の祖となる家塾(私塾)「立命館」の創始者。
立命館さんとして学祖の立体像は貴重な存在。
↓西園寺直筆文字です。
という訳で前置きが長くなりましたが、ようやく傳來工房の登場です。
ここで to be continued.. とさせて頂きます!