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2014年06月03日

横浜噴水塔

アート&デザイン的なアルミキャスト、ブロンズキャスト(鋳造)専業メーカーの
京都の傳來工房副社長の橋本昇です。

6月に入り、梅雨前なのになぜか今年は猛暑日が続きます。

先日、この猛暑で子供達が大はしゃぎで噴水で戯れているニュースを見ていて
「アッ、傳來工房で作った噴水!」と思わず声が出ました。

ということで、今回のテーマは傳來工房《噴水の仕事》のご紹介です。

明治維新後、急速な近代化はインフラにも大きく寄与した。

特に鉄道と同時に横浜で初めて
24時間365日いつでもどれだけでも使用できる近代水道が誕生し、
飲料水に悩まされていた浜っ子を驚かせた。

その近代水道の記念として、
今から約130年前、開港で賑わう横浜停車場前(現桜木町駅付近)に
日本で最初と云われるイギリス製のお洒落な噴水塔が設置されました。

その後、この噴水塔は駅改築や震災の影響により転々とし
現在は保土ヶ谷区の横浜水道記念館に保存されています。

昭和62年、横浜水道局が近代水道100年を記念し
「港の見える丘公園」に忠実に復元した実寸大復元を計画し
久保田鉄工様からの依頼でわが傳來工房が鋳造設置いたしました。

約100年を経過した元の噴水塔は鋳鉄製の為、
腐食に耐えられずこれからの未来を考え復元噴水塔は
高い耐蝕性の素材《ブロンズ 青銅鋳物》が採用され、
ブロンズ鋳造復元というより、本格的な彫刻大ブロンズ像の製作と
云えると思います。

H:4000mm 材質:ブロンズ(青銅鋳物) 仕上げ:緑青発色仕上げ

その為、この噴水塔の復元にあたり、
傳來工房内アトリエの芸大彫刻科出身のスタッフ達が
粘土原型から作り上げ、鋳造後のブロンズ仕上げまで
すべて京都工場で職人達と一緒になり完成させました。

傳來工房ではもちろん、製作した当時の手書きの古い図面も残っており、
この噴水塔を担当した当時の事を懐かしく思い出します。

今、思い出しましたが
京都工場内で完成検査の仮組みした時、
ブロンズだけにとにかく、重たかった事が記憶に残ってます。

今は赤い靴バスの観光ルートにもなっています。
お近くへお出での際には、ぜひご覧ください。

2014年02月27日

久しぶりの皇居

アルミキャスト、ブロンズキャスト専門メーカーの
京都傳來工房、副社長の橋本昇です。

大手町の某現場打合せの後、久しぶりに皇居に立ち寄りました。


傳來工房の仕事をご紹介するこのブログも知らぬ間に
7年半、174回を数えました。その間、お読みいただいている
御施主様、デベロッパー様また、大手設計事務所様、大手建設会社様の
皆様からお会いした時やメールでも励ましのお声を頂き大変感謝しております。

その最初のブログがこの《皇居の仕事》からでした。

私の関わった仕事の中でもひと際、思い出深い仕事でもあります。

約20年を経過した青銅鋳物の発色である《緑青ろくしょう》も
程好く落ち着き、歴史ある皇居正門付近の風景に馴染んでいます。

当時担当いただいた環境庁皇居外苑事務所、建設省関東地建皆さんの
二つの管轄省庁共、省格上げ、省名変更に月日の早さを
感じられずにはいられません。

限られた予算、工期の中でも《後の世に誇れるもの》を合言葉に
傳來工房の職人達が腕と知恵を振るいました。

今でもあの二重橋前の青銅高欄をした傳來工房として
多数色々な場面でご紹介いただくこと、仕事冥利に尽きます。 感謝




2013年12月26日

戦国時代

アート&デザインのブロンズ鋳造専門の
京都傳來工房副社長の橋本昇です。

今年も数日で幕を閉じ、新年を迎える準備にご多忙の事を存じます。

今年も皆様からたくさんのお仕事を中心に、
新しい出会いやこの探訪日記に対して
あたたかいお声をお掛け頂き心より御礼申し上げます。

さて私の、新年の楽しみの一つは、NHK大河ドラマです。
今回は、岡田准一演じる「軍師 官兵衛」



戦国の世を巧みな知力で信長、秀吉、家康に重用された人物だけに
歴史的なエピソードも数多くあり、期待できるのでは・・・

時代的には、安土桃山時代。

元号のほとんどが「天正てんしょう」であったため
この時代を「天正時代」を呼ばれることもある。

そう云えば、来賓をご案内する傳來工房の第一応接室に
「天正時代」を記するものを思い出した。



この棚に・・・

蝋型鋳金(ろうがた ちゅうきん) 傳來工房
天正壱十弐年 

材質は、昔で云う砲金(ほうきん)。
今の青銅、ブロンズに近い地金による鋳造銘板です。

蝋型鋳金とは、ゴルフクラブのヘッドなどを鋳造する
現在のロストワックス鋳造法の原点であり、
鋳造法の中では最も精密な技法です。

ここに傳來工房のルーツを確認することができます。


天正壱十弐年(1584年)を年表で調べると
あの「小牧・長久手の戦い」が勃発した年。

残念ながら、黒田官兵衛はこの戦いには関わって居らず、
この翌年から秀吉の参謀長というべき「軍監ぐんかん」の立場で
四国、九州平定を行った。

傳來工房の歴史視点からみると
この天正壱十弐年は、浄土真宗本願寺派総本山が
大阪からまだ京都七條堀川の西本願寺に移られる直前の時代であり
戦国の荒波に巻き込まれながらも
生き抜く信仰の力を感じます。

《あとがき》 お時間があれば・・・

数十年前、司馬遼太郎が官兵衛を描いた
「播磨灘物語」が面白く、二度ほど読んだ。

司馬さんは官兵衛を単なる知恵者の英雄扱いでなく、
作られた怪しげな出生をからかいながら
時代を先読みする狡賢い知恵をたしなめた。

しかし、何よりも何回も裏切られても
人を裏切らない官兵衛の見事な行動力を讃えた。

その逸話が残っている。
秀吉が晩年、側近に「次の天下人は誰か?」と問い、
「家康」「利家」の声の中、
秀吉が「次の天下をとるのは、黒田官兵衛」と言った。

これを股聞きした官兵衛は秀吉を恐れ、
すぐに家督を長政に譲り、黒田如水として得度しようとした。

ここに官兵衛の生き方の真骨頂が見られる。

最後に官兵衛の言葉から

「人に媚びず、富貴を望まず」

来年も皆様にお役に立て、
喜んでいただけるもの創りに注力いたしますので
傳來工房を引き続き、宜しくお願い申し上げます。


2013年07月10日

祇園祭 長刀鉾

デザインアルミ鋳物、ブロンズ鋳物専門メーカーの
京都傳來工房専務の橋本です。

本日京都では、この夏最高の外気温41℃を確認しました。


《外気温 41℃》

本来ならこの暑さは、7月17日の祇園祭の山鉾巡行後に梅雨明けし、
夏到来となる時にくる暑さですが今年はなぜかペースが速いですね。

さて、いよいよ来週の祇園祭のメインイベントというべき
山鉾巡行に向け、鉾建て(ほこたて)が始まりました。

《長刀鉾 鉾建て》

ご存じのように祇園祭は、約1000年前から疫病祓いを目的に
続いている日本三大祭りの一つです。

その祇園祭でも象徴となるのが「長刀鉾(なぎなたぼこ)」です。

《長刀鉾 全姿》


それは、基本的に巡行する順番はくじで決められますが
1000年前から常に先頭の「くじ取らず」として存在し、
この鉾が四条麩屋町のしめ縄を切らない限り
ほかの鉾は巡行できない「しきたり」があるからです。

名前の由来は、最上部の矛先に疫病を切り落とすといわれる
大長刀(おおなぎなた)をつけているのでこの名で呼ばれています。

われわれ傳來工房はその長刀鉾の
コンコンチキチの点鐘・鳴り物(なりもの)を古くから納めております。



《点鐘・鳴り物》


この鐘を製作した証、
《伝来 鋳》の文字も彫り込まれています。

テレビなどニュースで
祇園祭のコンコンチキチの音色が聞こえましたら、
ぜひ傳來工房の音色もお楽しみください。

2013年02月26日

横浜開港記念会館

ブロンズ、アルミ鋳物による意匠専門メーカーの
京都の傳來工房専務の橋本昇です。

今年の冬は、寒さが厳しいですね。
先週、横浜へ出張する機会があり
横浜を代表する重要文化材復元工事をお手伝いした事を思い出し
現地へ取材に行ってきました。

今から160年前の嘉永6年、ペリー提督率いる黒船が浦賀沖に来航した。


幕府はスッタモンダの上、日米修好通商条約により
神奈川の開港を決めたが
佐久間象山が少しでもリスクを回避するため
東海道から離れた横浜村の開港を勧めた。

その後、世界でも有数の生糸貿易港して発展し、
海外から入ってくる最新の文化に横浜の街も人も彩られた。

そして大正に入り、横浜港開港50年を記念し
1913年(大正2年)記念館の設計コンペを行なわれた。

福田重義(当時東京市技師)の当選案を
山田七五郎(初代横浜市建築課長)を中心に
横浜市建築営繕の技師達で設計された。

横浜市開港記念会館(重要文化財)
施工:清水組(現在の清水建設)
赤レンガと花崗仕上げ
SRC造 地上2階+塔屋5階建 

シンボリックな塔屋を大通り角に配置した
スケールの大きな意匠が印象的です。

我々傳來工房が鋳造担当した部位は、
そのメインの塔屋部の最上部にあるブロンズ手摺りです。

さらにアップして

塔屋部 ブロンズ手摺り 
材質:青銅鋳物 
仕上:緑青発色仕上げ
鋳造:傳來工房

私達傳來工房の職人達は、重要文化財の復元は勿論
現代建築のスタイリッシュな内外装の意匠まで
熟練された技術を使い、ブロンズ、アルミ鋳物によるお手伝いを
しております。

最近、施主や大手設計事務所、大手ゼネコンの皆様の
工場視察がなぜか増えてきました。

もうすぐ、梅や桜が咲き誇り、素晴らしい京都のシーズンとなりますが
ぜひ、京都本社工場へご視察を!
(JR新幹線京都駅からタクシーで約10分程の近い距離です。)

職人スタッフ一同、心よりご来社をお待ち申し上げております。

2013年01月21日

NHK大河ドラマ《八重の桜》

アルミ鋳物、ブロンズ鋳物専門メーカーの
傳來工房専務の橋本昇です。

今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」がおもしろい。

主演:綾瀬はるか

大震災からの復興に懸ける福島の人達と
幕末から悲運の運命を歩む会津藩の人々が
苦難の時代を生き抜く姿が重なり合う。

会津藩砲術家一族に生まれた主人公「八重(やえ)」は
明治維新後、京都府顧問をしていた兄の山本覚馬の縁で
同志社の創立者「新島襄(にいじま じょう)」と京都で出会い結婚した。

さて今回の傳來工房の仕事は、数年前にも紹介しましたが
八重のドラマにちなみ、八重の夫「新島襄」の創立した《同志社》です。


新島 襄(にいじま じょう)1843-1890

大志を持って渡米した新島襄に
心うたれたアメリカのキリスト教プロテスタントの人々が援助した。

新島襄は、日本を近代化するには、西洋文化や技術を取り入れるだけではなく
自主独立の人民を育成しなければとならないと結論付け、
キリスト教主義によるリベラルアーツカレッジを計画した。

それが現在の同志社である。

その象徴となるチャペル(礼拝堂)が1886年に完成した。

「礼拝堂は同志社の精神」というように、
新島が目指した「良心教育」のシンボルでもあった。


《同志社礼拝堂》
設計:D.C.グリーン 施工:三上吉兵衛
資金:アメリカ海外伝道教会(アメリカン・ボード)
現存するプロテスタント諸教会では最古の礼拝堂で重要文化財指定。


100数年が経過し、1987年から京都府文化財保護課が中心となり修復復元がされた。

傳來工房で担当したのは、最上部の棟飾りと端部意匠避雷針。


《意匠大棟飾り》

材質は、軽量化と錆び対策によりアルミ鋳物(アルミキャスト)を提案し採用された。

《意匠玄関上部棟飾り アルミ鋳物 アクリルウレタン樹脂塗装》

この仕事は、青春時代お世話になったこともあり特に心を込めてお手伝いした。

《あとがき》お時間があれば・・・

歴史の詳しい人ならご存知だと思いますが幕府崩壊直前、
会津藩主松平容保が最後の京都守護職として勅命を受け
はるか会津から京都に着いた。


松平容保(まつだいら かたもり)


そして、時代の波に呑まれながら
悲劇の会津藩として戊辰戦争に巻き込まれていく。

京都から出発した官軍は、会津若松城まで攻め上がり
この時八重も男装し、最新銃スペンサー銃を撃ちまくり戦った。

会津藩落城寸前、白虎隊、幼少隊の子供達が刀を持ち
飯盛山で幼い命を散らしていく段は、何度読んでも辛い。

それだけに当時、新島襄に嫁ぐ八重には、
会津藩の悲劇が始まる京都に来るということは、
複雑な思いがあったに違いない。

しかし、そこに八重の真骨頂があらわれる。

封建的な会津人の中で常に苦難に前向きで
革新的な八重は京都に来ても変わらなかった。

最後に会津藩の有名な言葉、

会津藩では6〜9歳までの藩士の子どもたち(男子のみ)が
10人前後のグループをつくり、その集団を「什(じゅう)」と呼んだ。
その中で守らなければならない決まりを定めたものが「什の掟」でした。

「什(じゅう)の掟」

一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ。
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
一、虚を言ふてはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ。
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ。
一、戸外で物を食べてはなりませぬ。
一、戸外で女子と言葉を交わしはなりませぬ。

ならぬことはならぬものです。


自戒の念を持って書きました。(汗・・・)

2012年02月25日

重要文化財の外構フェンス

デザインアルミ鋳物専門メーカーの
京都傳來工房専務の橋本昇です。

今回は、現存する重要文化財周辺に採用された
意匠アルミ鋳物フェンスをご紹介いたします。

この建築は、西本願寺の大教校(現 龍谷大学)の校舎として
明治12年(1879)竣工した。(京都市七条大宮)

木骨石貼寄棟造 約130年の歴史を感じる。(重要文化財指定)

当時、ロンドンから鉄鋳物製の門扉や手摺りが
直輸入されていたが鉄特有のサビ腐食にはかなわず、
われわれ傳來工房で色々な金属部位を
耐食性の高いアルミ鋳物を使い復元しました。

もちろん正門の大型門扉も傳來工房で復元しました。

《正門大型門扉 重要文化材復元 アルミ鋳物 傳來工房鋳作》


そしてあまり知られていませんが
この正門の両側及び重文指定されている全域を
アルミ鋳物製意匠フェンスで傳來工房で鋳造しました。


《意匠フェンス アルミ鋳物 傳來工房鋳作》


《意匠フェンス アルミ鋳物 傳來工房鋳作》


《意匠フェンス アルミ鋳物 傳來工房鋳作》


《意匠フェンス アルミ鋳物 傳來工房鋳作》

このフェンスは意匠にもこだわりがありましたが、
デザインの連続性を生かす為、道路側から柱が見えにくい工夫をした。

意匠を重視したこのディティールにこだわった施工方法は、
現在も公共施設の意匠フェンスに生かしています。

まさに「歴史から学ぶ」の実践です。

傳來工房では、このような重要文化財復元をする職人達の技術を
一般家庭向けアルミ鋳物製デザイン門扉にも商品化しています。


レンヌ門扉 アルミ鋳物製 (傳來工房ディーズガーデンブランド)

バランスの取れた意匠と上品な風格があり、無垢の肉厚の質感など
私個人としてもかなりお気に入りのデザイン門扉です。

《余談》 お時間があればぜひ・・・

この重要文化財の龍谷大学から少し北東へ歩くと
凄い建造物があることはあまり知れていない。

《唐門 (からもん) 国宝》

元々、伏見桃山城に建設されたが、歴史の変遷により西本願に移設され
桃山時代の貴重な建築物として丁寧に保存されている。

極彩色豊かで何より素晴らしい勢いのある彫刻が
美術工藝品として《国宝》の価値をひしひしと感じる。

豪華で精巧な様を眺めていたら、時間が経つのも忘れてしまうことから、
別名「日暮らし門」と呼ばれています。


彫刻や文化財に関わる一人として比べる事もないが、
江戸時代に作られた日光東照宮などこの唐門の足元にも及ばない。

しかし、この歴史上重要な建造物の前には
表示や解説など一切ないのには、驚く。

それと、話のタネにもう少し・・・

この唐門に空想の怪獣「麒麟(きりん)」が彫り込まれていますが
この麒麟がキリンビールの意匠デザインの元になったらしいです。
本当かなァ・・・


2009年03月12日

古美術工藝の復元

ブロンズ・アルミ鋳造専門メーカーの
京都の傳來工房専務の橋本です。

今春、レッドクリフのPART兇上映される。

ご存知、三国志の最も有名な合戦である「赤壁の戦い」を
ジョン・ウー監督が映像化した後編だ。


その三国志の時代から中国の年表を遡ること約1900年。
西暦では紀元前1700年頃か。

いくら京都でも中国の3700年前の歴史では太刀打ちできない。

当時は、殷(いん)の時代。高い文化と同時に優れた技術があった。

殷周銅器(いんしゅうどうき)という言葉を聞かれた人も多いと思う。

この時代の銅器鋳造技法に謎が多く、今まで色々な学説があったが
それらの説を鋳造製作によって証明されたことはなかった。

今回、日新電機衢佑琉様蠅砲茲衫啗米猊弋都大学名誉教授のご指導のもと、
松丸道雄東京大学教授の独自の殷周銅器鋳造説をわれわれ傳來工房が
その学説の具現化に初めて青銅鋳造に取り組んだ。

殷周銅器に刻まれる象形文字や文様は当時、銅器に掘り刻む鉄器が
存在しなかったため、どのようにして型を作られたかが最大の謎である。

そこで松丸先生は現在の鋳造型ではありえない
なんと!獣などの皮に文字や文様を書きそれを繰り抜き凹凸の型にする説を
発表された。

さすがに驚いた。

無事完成し、そして殷周銅器の謎がひとつ証明された。
味わい深い、素晴らしい出来栄えです。

青銅鋳物(ブロンズキャスト) 緑青発色仕上げ 傳來工房鋳作


盤の中には
苟日新。日日新。又日新。

《苟(まこと)に日に新(あらた)にせば、
日日に新に。又日に新なり》と記されている。


少し解説を
当時、「酒池肉林」の夏の桀王(けつおう)を滅ぼし、
殷の時代を築いた湯王(とうおう)という優れた帝がいた。

その湯王が自分の使用する盤(洗面器)に自ら戒める句を刻み
毎朝、顔を洗うときに読んだという。

その由来よりこれを「湯王の盤」と名付けられた。

今回、「湯王の盤」を傳來工房で10個鋳造し
内1個は、現在京都国立博物館にも所蔵されている。

《余談》
今回は、チョット仕事の内容がカタ過ぎたのでお時間のある方だけ
少し柔らかい話題を息抜きとしてどうぞ。

レッドクリフに出演している女優リー・チーリンをご存知でしょうか?

最近、テレビで見る機会があった。

写真ではわからないが、今まで見た東洋系女優の中でもダントツでは・・・

単なる美しさだけではなく、可愛さ、上品さ、色気さ、知的さ、清潔さ、

透明さ、温かさ、きめ細やかさ、可憐さ、スタイル・・・

(自分でもこれだけ褒められるのかと驚きます・・・)

残念ながらレッドクリフPart1を見ていないが
見た人によると天女のようだという人が何人もいる。

Part1はDVDで見るとして、Part2は、ぜひ三国志の勉強に行こう。

いや、リーに会いに映画館に行こう。

2008年11月14日

同志社礼拝堂

アルミ鋳物、ブロンズ鋳物専門メーカーの
傳來工房専務の橋本昇です。

1854年吉田松陰がペリー艦に忍び、密航を嘆願したが拒絶され幕府に捕まった。

その10年後、22才の若者が大きな志を持って単身アメリカへの密航に成功した。


《写真 新島襄》
新島 襄(にいじま じょう)1843-1890 安中藩出身(現在の群馬県安中市)


鎖国時代、単身で英米の密航に成功し、
後に大きな功績を残した話はこの若者以外に聞かない。

薩長両藩の優秀な若者達は藩のスポンサー付き密航であったし、
ジョン万次郎は遭難がきっかけだった。
その他は幕府から許しを得た正規の留学であった。

大志を持って渡米した新島襄に
心うたれたアメリカのキリスト教プロテスタントの人々が援助した。

新島襄は、日本を近代化するには、西洋文化や技術を取り入れるだけではなく
自主独立の人民を育成しなければとならないと結論付け、
キリスト教主義によるリベラルアーツカレッジを計画した。

それが現在の同志社である。

その象徴となるチャペル(礼拝堂)が1886年に完成した。

「礼拝堂は同志社の精神」というように、
新島が目指した「良心教育」のシンボルでもあった。


《同志社礼拝堂》
設計:D.C.グリーン 施工:三上吉兵衛
資金:アメリカ海外伝道教会(アメリカン・ボード)
現存するプロテスタント諸教会では最古の礼拝堂で重要文化財指定。

100数年が経過し、1987年から京都文化財保護課が中心となり修復復元がされた。

その時、私はやはり明治に建設された辰野金吾設計の
元日本銀行京都支店(重文:現京都府文化博物館)の大型シャンデリアなど
意匠金物復元していた頃だと思うがその担当官から相談を受けた。

当社で担当したのは、最上部の棟飾りと端部飾り避雷針。


《意匠大棟飾り》

材質は、軽量化と錆び対策によりアルミ鋳物(アルミキャスト)を提案し採用された。

《意匠玄関上部棟飾り アルミ鋳物 アクリルウレタン樹脂塗装》

この仕事には、特に心を込めてお手伝いした。

《余談》

この復元工事途中、
礼拝堂横の我が母校同志社中学校の谷川校長に挨拶に行った。

「橋本くん、誇れるエエ仕事してくれよ!」と励ましのお言葉を頂き、
大変喜んでくださったのがとても嬉しかった。

思春期の中学生当時、毎朝の礼拝は退屈な空気が流れていたが、
なぜかこの讃美歌の時だけは
いつもより生徒の声がチャペルの内部に大きく響いたように覚えている。

  《讃美歌312番》

♪ いつくしみ深き 友なるイエスは 

  罪科(つみとが)憂いを 取り去り給う

  心の嘆きを 包まず述べて

  などかは下ろさぬ 負える重荷を ♪

《追伸》
最近、同志社OBの大先輩や同級、後輩からこの探訪日記を見ていると
嬉しい連絡を頂戴し恐縮する中、母校の紹介を僭越ですがさせていただきました。
今出川キャンパスでの皆さんの紅顔時代を思い出していただければ幸いです。


2008年05月18日

千葉市美術館 鞘堂(さやどう)

アルミ鋳物、ブロンズ鋳物専門メーカーの傳來工房専務の橋本昇です。

北海道洞爺湖で7月7日からG8サミット(先進国首脳会議)が開催される。
最大のテーマはもちろん地球温暖化問題を中心とした環境問題。

その起点となったのは、もう10年も前になるがご存知、京都議定書を採択された
「地球温暖化防止京都会議(COP3)1997」だ。

当時この会議が行われたのが京都左京区宝が池にある「国立京都国際会館」。


《国立京都国際会館 1966 設計:大谷幸夫》 

私が小学校4年の頃、完成した。
近くの小学校へ通っていたので初めて見たとき、
とてつもなく迫力を感じる建物だった事を今でも覚えている。

それから30年後、まさかこれを設計した建築家のお手伝いをするとは・・・
夢にも思わなかった。


《千葉市美術館内部さや堂ホール 1994 設計:大谷研究室 施工:清水建設》



《千葉美術館 1994 設計:大谷研究室》
この建築の中にさや堂ホールの建築が保存されています。



《さや堂ホール入り口》

この建築は、昭和2年(1927)建築家矢部又吉(1888-1941)の設計により
本格的なネオ・ルネッサンス様式の川崎銀行千葉支店として建設された。

大谷先生が千葉美術館の設計にあたり、この地にある文化財の完全復元を
担当された。
さや堂の名称の由来は、この文化財建築を曳屋工法で移動させ
また元の位置近くに戻された為、鞘堂(さやどう)と命名されたようだ。


今回、われわれ傳來工房は、この鞘堂となる元川崎銀行千葉支店内部の
ブロンズキャストの完全復元をお手伝いした。


《柱頭、柱脚:ブロンズキャスト 緑青発色仕上げ》


大谷先生が石柱の蛇紋とブロンズキャストの緑青模様を合わせろと
ムチャな難題を言われたのも今では懐かしく、良い思い出です。




《2F回廊意匠手摺:ブロンズキャスト 緑青発色仕上げ》

この手摺りは、繊細な意匠とディーティールを大谷研究室の皆さんと
傳來工房アトリエスタッフでかなりこだわって完成しました。
清水建設の皆さんにも大変親切にご協力いただき良い仕事ができたと思います。


《1F空調グリル:ブロンズキャスト 緑青発色仕上げ》

立体造型部分にも大谷先生の復元に対する熱い思いを感じます。

当時、大谷先生には原型立会いで
傳來工房京都工場にも来ていただきました。

小柄な痩せ型でなぜかいつも無表情でしたが、打ち合わせに入ると
モノづくり側の気持ちを汲んで話を真摯に聞かれる先生でした。

《余談》
今回のG8サミット開催地の本命は、京都だった。
しかし、警備の関係で伏兵の北海道洞爺湖に決まった。

平成17年に完成した京都御所内の京都迎賓館(設計:日建設計名古屋)も
その布石だった。
残念・・・しかし6月には外相会議が決まっている。
(もちろん、京都迎賓館のお手伝いをした。アルミキャスト棟化粧・外部赤外線キャストカバー)


《京都迎賓館晩餐室》

思い出したが
その昔、京都国際会館横の宝ヶ池プリンスホテル(設計:村野籐吾)建設も
当時の京都でのサミット誘致が目的だった話を昔聞いた事がある。

その時、京都らしい騒動があった。

比叡山の借景で有名な円通寺(えんつうじ)の庭に
プリンスホテルの上部が見え、ホテルの階建てが変更になったとか・・・

京都国際会館の向こうにかすかに
宝ヶ池プリンスホテル(現 グランドプリンスH京都)が見える。


(村野藤吾の代表作である箱根プリンスHを思い出すような意匠だ)


2007年10月26日

京都にある明治の西洋建築

アルミ鋳物、ブロンズ鋳物専門メーカーの
傳來工房専務の橋本昇です。

明治維新が終わり、文明開化が進む中、
世界中から色々な西洋文化が入ってきた。

その中で西洋建築は、近代化を目指す日本人にとって
これほどわかり易いものはなかった。

この頃、京都においても多くの西洋建築が建設されたが
そのほとんどがキリスト布教を目的とした宣教師を兼ねた
外国人建築家達がその役割を担った。

しかし、この時代に活躍したあまりにも有名な日本人建築家がいる。

辰野 金吾 タツノ キンゴ (1854〜1919)

その辰野金吾の代表作のひとつが京都三条通りに残っている。

旧日本銀行京都支店  1906 (重要文化財)


平安建都1200年事業のひとつとして完全復元が計画された。
重要文化財でもある名建築の意匠金属復元を
われわれ傳來工房が担当した。(1988)

京都府文化財保護課からの依頼で調査に入ったが
他の西洋建築同様、第二次世界大戦時の軍需供出で
意匠金属の当時のものはほとんど残っておらず、
唯一、竣工当時の銀行内部の写真が数枚だけ
日本銀行本店で保管されていた。

傳來工房が担当したのは、
ブロンズの大型シャンデリアや
2F回廊下のブロンズ照明ペンダント。



拡大した写真と当時の建築様式を睨みながら意匠を具現化し、
ブロンズ鋳物と銅版を使い復元した。当時を偲びながらも楽しい仕事だった。
そして仕上げは、ブロンズ古美硫化イブシの発色とした。



ブロンズ復元も終了間近でやれやれと思っていたら、
急遽、外部のクラシックな街灯復元も依頼があった。

これは予算の関係で当時と同じ鋳鉄で復元したが
しっかりと耐蝕処理をしたのにやはりサビが気になる。
鉄の宿命か・・・


現在も京都文化博物館別館として一般に公開されており、
日本銀行の大金庫は、今ではカフェとして利用されています。
これには金吾もビックリでしょう!

この日本銀行京都支店竣工の8年後、
彼の代表作となる
「中央停車場 (現 JR東京駅) 1914」が完成した。

NHKの松平アナ風に語ると
「その時、辰野金吾 60歳 近代建築の扉を開けた。」

私にとっても、大変思い出の残る仕事だった。

2006年11月14日

♪♪お江戸日本橋 〜

京都のデザイン アルミ鋳物、アルミキャストメーカー 
傳來工房専務の橋本昇です。

この唄ご存知の方おられますか?

♪♪お江戸日本橋 七つ立ち
  初のぼり 行列そろえて アレワイサノサ
  コチャ 高輪 夜があけて 提灯けす コチャエ コチャエ ♪♪

この歌を聞くと小学五年の切手収集の真似事をしている時、
安藤広重の「日本橋」の切手を見て、当時の華やかな江戸
風情を良く表わしている図案に憑かれたように見入っていた
事を思い出します。

日本橋は、今から約400年前の1603年に江戸幕府が五街道
の起点として定められました。そして明治44年1911年、現在の
石造二連アーチの道路橋として完成しました。

その時、橋中央にブロンズ製(青銅鋳物)「日本国道路元標(もとひょう)」が
設置されました。これが現在の国道の起点となるものです。(重要文化財指定)

昭和42年都電廃止に伴いこの元標柱が現在置かれている橋の袂(たもと)に移設され、
橋の中央には新しく元標プレートが起点として設置されました。
この文字は当時の佐藤栄作総理大臣の筆によるものです。


そして傳來工房の出番です。

この元標プレートの真上になんと空中に道路元標をアルミ合金鋳物で復元したのです。
江戸時代の人が見たらびっくり仰天し驚くでしょう。


当社で重文の元標を精密に意匠図面化し、木型、粘土、石膏素材を駆使しながら原型を製作し、
空中に設置するため、ブロンズの約1/3の比重であるアルミ鋳物で完全復元を傳來工房で行いました。

思い出しましたがこの設置工事の時は命がけで、
お上より首都高の車を止めずに施工せよとの御達し。
ガンガンに飛ばしてくる車の真横でこれほど揺れるか思うくらい架橋が上下に揺れ、
本体とブラケットとの連結に手間取った事、手間取った事。

ぜひ、三越日本橋店でお買い物帰りの息抜きに
「傳來工房作 アルミ鋳物の空中日本橋元標」のご見学を!

日本の道は、傳來工房作の日本橋元標から始まる。

2006年07月07日

皇居二重橋前ブロンズ高欄

晴天の皇居にブロンズが映える

こんにちは、アルミキャスト、ブロンズキャスト専門メーカーの傳來工房専務の橋本昇です。

今回より、全国の「傳來工房の仕事」を訪ねながら皆さんにご紹介していきます。
第一回は、ご存知「皇居」です。宜しくお願い申し上げます。

12年ぶりに晴天の皇居正門前のブロンズ高欄現場を訪ねた。
あらためて、見事なブロンズの仕事にため息が出た。

そして当時の関係官庁(建設省関東地建、環境庁、宮内庁)の
担当官の顔をすぐ思い出した。
よくぞ、短期間にあれだけの調査と資料作成
そして復元製作施工をしたと誇り思う。

幕府崩壊後、江戸城開城から皇居御造営がはじまり、
明治21年に皇居正門石橋前に当時、鉄鋳物製の意匠高欄が設置された。

約100年間、管轄である皇居外苑事務所が丁寧に保守されてきたが、
やはり酸化腐食には鉄は勝てず、
二重橋すずらん灯と同材質のブロンズ(青銅鋳物)復元が決まった。

関東地建内の意匠担当精鋭担当官と
具象彫刻担当の当社原型スタッフを交えた入念な復元打合せと
繰り返し行われたエスキース(習作模型)のおかげで
非常に完成度の高い復元原型が出来た。

いよいよ、京都工場にてブロンズ鋳造の工程に入り
急遽、国賓が入門される皇居正門の関係もあり
納期短縮の要請が官庁よりあった。

今でもはっきり覚えているが
その時、皇居外苑事務所の皆さんや元請の大林組所長はじめ、
現場の皆さんの段取りと調整がすばらしく
当社職人の注力もあり見事に納期短縮が実現した。


ブロンズ高欄前で記念写真

ブロンズ高欄(青銅鋳物緑青発色仕上げ)

物件が皇居だけにここでは書けないエピソードも少なくないが、
終盤の工事追い込みの夜、 関連担当官、工事関係者一同、
気合を入れる為に某事務所でみんな真っ白になってそば打ちをし、
打ちたてのそばに舌鼓を打った事だけは書いておこう。

もちろん、私も京都から「MY麺棒」を持って行った。

その時、宮内庁北の丸事務所から
差し入れのあった銘酒「惣花(そうはな)」の旨かった事、旨かった事!