アート&デザイン
アルミ鋳物、ブロンズ鋳物専門メーカー
傳來工房専務の橋本昇です。
昨日、HNK大河ドラマ「風林火山」の最終回でした。
このドラマは、井上靖 生誕100周年を記念して作られた企画と聞きました。
原作とは、似て非なるものでしたが久しぶりに一年通して楽しみました。
特に後半、上杉謙信役Gackt(がくと ミュージシャン)の才気ある演技は、
軍師・宇佐美定満役の名優・緒方拳にも助けられ、なかなか良かった。
さて井上靖は、「天平の甍」や「敦煌」に見られるように
美術工芸に対して見識の高さと豊かな表現は文学作家の中でも群を抜いている。
京大卒業後、毎日新聞社学芸部で美術記者をされていたことが大きいのでは・・
その井上靖芸術観のダイジェスト版といえる
「忘れ得ぬ芸術家たち」という書籍があります。
その中で井上先生が一番思いを込めて書かれている芸術家は
間違いなく「陶工 河井寛次郎」だ。
井上先生もこの書籍の中で自分の美術観に最も大きな影響を
与えてもらった芸術家は河井寛次郎であると書かれている。
実は、その井上靖先生に会いに行った。
いや正確に言うと私が31歳7月7日七夕の日、
世田谷の自宅に相談に行ったのです。
河井寛次郎記念館開館15周年記念事業として
寛次郎が生前、式場隆三郎氏との対談で
「機会があれば自分の木彫作品をブロンズなど金属にしたい」という記録が
残っておりその実現化について記念館の荒川さんと相談に行きました。
快諾された。
その日、井上先生の機嫌がすこぶる良く、
中国「楼蘭(ろうらん)」の地へ行く話をされていた。
そして上機嫌の井上先生が
帰り際、急に私をグッと眼光鋭いまなざしで見つめ
「君、河井先生のいいブロンズを作りなさい。」と言っていただいた。
大きな励みになった。
傳來工房アトリエ内で木彫作品から作品を傷めないよう特殊な技法で雌型を取り、
ブロンズとシルミンの2つの材質を使い鋳造しました。
昭和63年1月河井寛次郎木彫作品ブロンズ化10作品が完成した。
神秘的な造形美は、河井寛次郎そのものです。
写真:東出清彦
(今回のブロンズ作品写真集を作るのに、当時お付き合いのあった
写真家の東出さんに無理をお願いしました。
撮影後、しばらく寛次郎に憑かれたようですと話されていたことを思い出します。)
開館15周年記念展覧会と同時に寛次郎コレクターの為に
「像」と「面」限定10作品を各10体のみ作品限定番号を刻み
記念館の認定書付きで河井寛次郎記念館より頒布されることとなりました。
全国の美術館をはじめ一般のコレクターの方から沢山の申込があり
この収益は、記念館修復および作品の保管施設費用の一部となりました。
河井寛次郎記念館 京都五条坂
館名の篆刻(てんこく)は、寛次郎を神様と呼んでいた棟方志功の作
この事業は、今まで河井寛次郎記念館内しか告知をされていなかったが
記念館のご了解を得て傳來工房HPにも
寛次郎木彫作品ブロンズ化頒布紹介の掲載させていただきました。
理由は、傳來工房が鋳造のお手伝いをしている事もあるが
この寛次郎のブロンズ作品の価値が記念館から販売されている価格と
比較するとこれは、かなりおすすめだからです。
(ちなみにこのブロンズ作品の1種は、国立京都近代美術館にも常設展示されています。)
ほとんどの「像」は完売ですが、「面」や「像」も種類によって若干数の作品があります。
創業、上場、新社屋記念のロビーや応接室のオブジェとしてお薦めします。
詳しくは下記のサイトまで
↓
《河井寛次郎ブロンズ作品サイト》
最後に京都へ上洛の際には、ぜひ河井寛次郎記念館の見学をおすすめします。
きっと、色々な気付きに出会います。
河井寛次郎記念館 内部
(余談)
井上先生に会う当日、東京駅に到着し急に☆ピッときました。
八重洲のブックセンターで「忘れ得ぬ芸術家たち」を購入し
背表紙開きに井上先生に為書き(ためがき)をしてもらいました。
私にとって井上靖先生はまさに「忘れ得ぬ・・・」です。 合掌