株式会社傳來工房

社長ブログ

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珠玉の金言集

祇園祭(前祭)の山鉾巡行が、済んだのにまだ梅雨があけません。

カビだらけになりそうです。

愛読している「致知」の出版元から、

皆さんに是非お勧めしたい本が出版されます。


月刊『致知』41年の歴史に刻まれた120の名言を収録した

『十万人が愛した言葉』(藤尾秀昭・監修)


稲盛和夫氏や平澤興氏、坂村真民氏といった、

『致知』に馴染みの深い人物の名言をはじめ、

エジソン、二宮尊徳、『孟子』など洋の東西を問わず、先知先哲の叡智が

凝縮された珠玉の金言集です。

 

…………
目 次
…………

第一章 自分を育てる
第二章 生き方の流儀
第三章 志を遂げる
第四章 運命を創る

……………………………
掲載者の一部
(肩書は『致知』掲載当時・敬称略・本書掲載順)
……………………………

道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)
羽生善治(将棋棋士)
鍵山秀三郎(イエローハット相談役)
小野二郎(すきやばし次郎主人)
永守重信(日本電産社長)
福島孝徳(デューク大学教授)
本居宣長(国学者)
柳井正(ファーストリテイリング会長兼社長)
坂村真民(詩人)
桜井章一(雀鬼会会長)
安藤忠雄(建築家)
相田みつを(書家・詩人)
木村秋則(りんご農家)
齋藤茂太(精神科医)
稲盛和夫(京セラ名著会長)
鈴木大拙(哲学者)
二宮尊徳(農政家)
曽野綾子(作家)
福島 智(東京大学教授)
東井義雄(教育者)
平澤興(京都大学元総長)
三浦雄一郎(登山家)
野中郁次郎(一橋大学名誉教授)
城山三郎(作家)
川口淳一郎(「はやぶさ」プロジェクトマネージャー)
坂東玉三郎(歌舞伎俳優・人間国宝)
安岡正篤(東洋思想家)
山中伸弥(京都大学iPS細胞研平岡和徳(熊本県宇城市教育究所所長)
渡部昇一(上智大学名誉教授)
北里柴三郎(細菌学者)
森 信三(哲学者)
井村雅代(シンクロナイズドスイミング日本代表ヘッドコーチ)
土光登美(土光敏夫の母)
中村天風(天風会創始者)

……ほか全120の名言を収録

祇園祭

鬱陶しい梅雨空が、戻ってきました。

昨日、直行で今春オープンした京都経済センターに行ってきました。

新規ビジネスの打ち合わせのためにですが、一般に開放されている商談室もなかなか快適なものでした。

場所は、四条烏丸という超便利な場所に位置しています。

 

ちょうど祇園祭の鉾建てが始まっていました。

長刀鉾や函谷鉾、また鶏鉾が京都経済センターの目の前で、久しぶりに間近で建てを見ることが出来ました。

しかし近隣の駐車場代が、10分300円と非常に高いので

ゆっくり見るというわけにはいきませんでした。

昨日は曇り空でしたが、今日は雨。

鉾建ても大変ですが、事故の無い様進めていただきたいと思います。

 



祇園祭

概要
豪壮かつ華麗な祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。
古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。
祇園祭は、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます。

蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)
八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。
その故事にちなみ、祇園祭では、「蘇民将来子孫也」の護符を身につけて祭りに奉仕します。
また7月31日には、蘇民将来をお祀りする、八坂神社境内「疫神社」において「夏越祭」が行われ、「茅之輪守」(「蘇民将来子孫也」護符)と「粟餅」を社前で授与いたします。
このお祭をもって一ヶ月間の祇園祭も幕を閉じます。

由来
祇園祭は貞観年中(859~877)京の都に疫病が流行したとき、勅を奉じて神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を迎えて祭り、洛中の男児が祇園社の神輿を神泉苑に送って厄災の除去を祈ったのに由来し、平安時代の中頃からは規模も大きくなり、空車、田楽、猿楽等も加わって盛んな賑わいを見せてきました。

室町時代になると町々の特色ある山鉾のあったことが『祇園社記』に記されています。応仁の乱(1467)で都は灰燼に帰し、祇園祭も中絶しましたが、明応9年(1500)には復活、その時より山鉾巡行の順位を決める鬮取式が侍所で行われることになりました。以後、町衆の努力により山鉾の装飾にも贅を尽くすようになり、近世には度々の火災で多数の山鉾が消失しましたが、その都度、町衆の心意気によって再興し、今日に至っています。

[引用元:八坂神社HP]

三原じゅん子

G20が始まり、大阪は交通規制で大変だそうです。

無事成果を上げ終了することを心より願います。

さて最近、スカッとすることがありました。

それは、国会での首相に対する問責決議案への反対表明です。

40年前のアイドル、三原じゅん子が言ったのです。

客寄せパンダぐらいの役割しかないと思っていましたが、立派な政治家に成長していました。

健全な民主主義は政権交代可能な野党が存在してこそ、成立する。これは私の長年の持論であります。

その為、前原誠司や福山哲郎などを永年応援してきました。

しかし、民主党政権時代の失政や、分裂を繰り返した挙句の、揚げ足取りや

出来もしないポピュリズム政治にほとほと、嫌気がさしていました。

三原じゅん子、良く言った。

野党 『恥を知れ』

感謝!

爽やかな日が戻ってきました。

如何お過ごしでしょうか?

一見、実際の年よりは若く見られていますが、

今年66歳になりますと体のところどころにガタが生じてきます。

目、耳、歯から衰えが始まると言われますが、私も例外でないようです。

目は、今年左目の白内障手術を受けました。

間をおいて右目も手術の必要があります。

耳は、家で嫁さんからテレビの音が大きすぎるとよく注意されるようになってきました。

歯は、友人の歯医者で定期的に予防治療を受けていますので、

今のところは大丈夫です。

愚痴の一つも言いたくなるところですが、猛烈に反省させられる話に出会いました。

現状に感謝し今できるベストを尽くし天寿を全うしたいものです。

『大島みち子さんという女性がいた。

子供の頃は頭もよく、体も健やか、

本当に可愛い、いい子だった。

その大島さんに異変が生じたのは

高校に入った時だった。

顔の軟骨が腐るという難病にかかったのだ。

その治療のため、高校は5年かかってようやく卒業した。

彼女は京都の同志社大学文学部に進学。

だが、病気が再発、長い病院生活となる。

その間に河野誠さんという学生と知り合い、

手紙を取り交わす間柄になったりする。

この大島さんが書き残した文章を集めたのが

『若きいのちの日記』という本。

東井氏はこの本に、いまここで何をなすべきか、

人間としてもっとも大事なことを教えられたという。

大島さんは書いている。


「病院の外に健康な日を3日ください。

 1週間とは欲ばりません。

 ただの3日でよろしいから

 病院の外に健康な日がいただきたい」

「1日目、私はとんで故郷に帰りましょう。

 そして、お爺ちゃんの肩をたたいてあげたい。


 父に熱燗を1本つけて、おいしいサラダを作って、

 妹たちと楽しい食卓を囲みましょう。

 そのことのために1日がいただきたい」


「2日目、私はとんであなたのところへ行きたい。

 あなたと遊びたいなんていいません。

 お部屋を掃除してあげて、

 ワイシャツにアイロンをかけてあげて、

 おいしい料理を作ってあげたいの」


「3日目、私は1人ぼっちの思い出と遊びましょう。

 そして静かに1日が過ぎたら、

 3日間の健康にありがとうと、

 笑って永遠の眠りにつくでしょう」

創立30周年記念パーティー

今日は葵祭です。
友人の娘さんが、斎王代を務められます。
お天気で何よりでした。


禊の儀のあとの斎王代以下女人列
葵祭(あおいまつり、正式には賀茂祭)は、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と
賀茂別雷神社(上賀茂神社)で、5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行なわれる例祭。
石清水八幡宮の南祭に対し北祭ともいう。
平安時代、「祭」といえば賀茂祭のことを指した。


石清水祭、春日祭と共に三勅祭の一つであり、
庶民の祭りである祇園祭に対して、
賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物に訪れる、
貴族の祭となった。京都市の観光資源としては、京都三大祭りの一つ。


平安時代以来、国家的な行事として行われてきた歴史があり、
日本の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されている。
葵の花を飾った平安後期の装束での行列が有名。


斎王代が主役と思われがちだが祭りの主役は勅使代である。
源氏物語中、光源氏が勅使を勤める場面が印象的である。
大気の不安定な時期に行われ、にわか雨に濡れることが多い。
1995年(平成7年)は雨天で戦後初の中止になった。


昨夜、友人の会社の創立30周年記念パーティがありました。

創立30周年記念パーティー

京都リーガロイヤルホテルにて、400名以上の招待客で盛り上がりました。
お祝いも花も受け取られず、まったくのご招待でした。
4時間半の長丁場でしたが、蓮尾社長の思いが、いっぱい詰まった感動的なパーティーでした。

高校中退の蓮尾社長が、サラ金からの借金を返すために、
最初、赤帽で運送業をスタートされました。
相手にしてくれる金融機関もなく、その頃はメインバンクは
武富士と言っていた時期があったそうです。

筆舌に尽くせない苦労を重ね、
30年で売り上げ100億円の運送業の会社に
成長させられました。

サクセスストーリーに感動し、
10歳ぐらい年下の蓮尾社長に尊敬の念を持たざるを得ませんでした。
今後も、大きく成長されることを確信しました。

私も大いに啓発され、
少しでも追いつけるよう気持ちを新たにしました。

感謝

花盛り

少し暑いぐらいの、気持ちの良い日々が続きます。
如何お過ごしでしょうか?

2003年に、こだわりのガーデンエクステリアブランド、
『Dea’s Garden』を立ち上げました。

最初はポスト以外の商品もなく、展示も必要なかったのですが、
おしゃれ物置『カンナ』を発売して展示の必要が出てきました。

お客様がカンナを見たいとご来社される度に、カンナを組み立てていました。
組み立てても、シーンに溶け込んでいないので
商品の良さが伝わりませんでした。

それで社内に展示場を兼ねた『ガーデン』を作ろうと決心しました。
しかし、何か私が新しいことをしようとすると、いつもほとんどの社員が反対します。
その時もそうでしたが、押し切りました。
『ザ・ガー傳』と名付けました。

モデルガーデンの薔薇モデルガーデンの薔薇

このネーミングも、ふざけているとかなり社員からは反対されましたが、
ご来社されたお客様が、ネーミングにセンスの良さを感じると仰って頂いたのを
きっかけにそんな声は無くなり、今では定着しています。

二つ目のより凝った『ザ・ガー傳』も作庭し、
今ではDea’s Gardenの無くてはならない、顔となっています。

植栽にも力を入れ
1年中、花が咲き目を楽しませてくれます。

特にこの季節は、まさしく百花繚乱です。

モデルガーデンの薔薇モデルガーデンの薔薇

薔薇が10種類ほどあり、良い香りが会社中に漂っています。
是非ご来社いただき、目を休め、香りでお楽しみください。

中国盛和塾

昨夜の雨で、桜もだいぶ散ってしまいました。

如何お過ごしでしょうか?

先週12日金曜日に、中国盛和塾のメンバー28名が、

会社見学にお越しになりました。

会社見学会〈中国盛和塾さま〉会社見学会〈中国盛和塾さま〉

稲盛和夫さんの高齢を理由に、日本では盛和塾は閉塾されるらしいですが、

中国では、稲盛さんの許可を得て継続されるらしいです。

現在中国で7,000名の経営者が入会されているらしいです。

弊社に見学に来られる中国の人たちは、大変熱心に見学されますし、

後の質疑応答も活発です。

そして感動したと言って帰られます。

今回も、いつも以上に熱い見学会でした。

 

中国の経済の拡大のスピードや企業の急速な発展の理由がわかります。

そして弊社のような小さな会社からも学ぼうとする姿勢は、

見習わなければなりません。

政治は一党独裁を継続するため強権的ですが、

経営者はそれとは別に柔軟に活動しているようです。

こういった良識ある経営者たちと交わることによって、

お互い互恵関係を築けるのではないでしょうか?

会社見学会〈中国盛和塾さま〉

春爛漫

おはようございます。

桜満開、良き春を向かえ絶好調です。

如何お過ごしでしょうか?

京都は京都市内中いたるところに、桜の観賞スポットがあります。

特に私が住んでいる松ヶ崎近辺には、宝ヶ池や植物園など桜の名所がたくさんあります。

そういう意味では、桜グルメと言えそうなんですが、

今年は「うーん これはすごい。」と言わざるを得ない桜見物を体験しました。


今年の正月、所属する会の新年懇親会のくじ引きの景品で、

琵琶湖疎水船の2人分の乗船券が当たりました。

4月7日、11時5分の指定券であったので、他の予定が入らなければ

良いけどな程度の認識でした。

蹴上から大津まで10人乗りぐらいの船に乗って35分の船旅です。

もっとも 大津から乗ると55分かかるらしいのですが、

我々の乗船券は下り路線でした。

乗り場の蹴上から桜満開、船に乗ってからはトンネルの中以外は、

桜のトンネルをくぐりながらの船旅でした。

桜の観賞スポット桜の観賞スポット


その日の夜は、友人から平安神宮の夜桜コンサートの

2名分の招待券を頂いていたのでそれに出向きました。

正直、昼間に堪能するほど桜を見ていたので、少しお酒が入った後、

わざわざ、平安神宮まで行くのは億劫だったのですが、

嫁さんに促されしぶしぶ出向きました。

桜の観賞スポット桜の観賞スポット

結論から言いますと、行かなければ後悔していたなと思いました。

「紅しだれカルテット(弦楽)」を聞きながら、水面に映った夜桜を

眺めるのは、幻想的な世界でした。

 

「長生きはするものだな」と冗談交じりに思いました。

是非機会があれば、疎水船、平安神宮の夜桜は見てください。

絶対おすすめです。

 



琵琶湖疏水

概要
琵琶湖疏水は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものである。両疏水を合わせ、23.65m3/sを滋賀県大津市三保ヶ崎で取水する。その内訳は、水道用水12.96m3/s、それ以外に水力発電、灌漑、下水の掃流、工業用水などに使われる。また、疏水を利用した水運も行なわれた。水力発電は通水の翌年に運転が開始され、営業用として日本初のものである。その電力は日本初の電車(京都電気鉄道、のち買収されて京都市電)を走らせるために利用され、さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。疎水を利用した水運は、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見、宇治川を結んだ。落差の大きい蹴上と伏見にはケーブルカーと同じ原理のインクラインが設置され、船は線路上の台車に載せて移動された。水運の消滅に伴いインクラインはいずれも廃止されたが、蹴上インクラインは一部の設備が静態保存されている。無鄰菴や平安神宮神苑、瓢亭、菊水、何有荘、円山公園をはじめとする東山の庭園に、また京都御所や東本願寺の防火用水としても利用されている。一部の区間は国の史跡に指定されている。また、疏水百選の1つである。

歴史
開通まで京都市は幕末の禁門の変で市中の多くが焼け、明治維新と東京奠都に伴い人口が減少し、産業も衰退した。このため、第3代京都府知事の北垣国道が灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画した。そして主任技術者として、工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎を任じ、設計監督にあたらせた。
第1疏水は1885年(明治18年)に着工し、1890年(明治23年)に大津市三保ヶ崎から鴨川合流点までと、蹴上から分岐する疏水分線とが完成した。4月9日には明治天皇と昭憲皇太后の御臨幸を仰ぎ、竣工式を挙行している。 第1疏水(大津-鴨川合流点間)と疏水分線の建設には総額125万円の費用を要し、その財源には産業基立金、京都府、国費、市債や寄付金などのほか、市民に対しての目的税も充てられた。
また、水力発電は当初は計画されなかったが、田邉らがアメリカで視察したアイデアを取り入れ、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設。1891年(明治24年)に運転が開始された。この電力を用いて、1895年(明治28年)には京都・伏見間で日本初となる電気鉄道である京都電気鉄道(京電)の運転が始まった。鴨川合流点から伏見堀詰の濠川までの鴨川運河は、1892年(明治25年)に着工し、1894年(明治27年)に完成した。
第2疏水は、第1疏水で賄いきれない電力需要に対応するとともに、新設する近代上水道のための水源として、京都市により「三大事業」の1つとして進められた。1908年(明治41年)に着工され1912年(明治45年)に完成し、取水量は第1第2合わせて毎秒850立方尺 (23.65m3) となった。日本初の急速濾過式浄水場である蹴上浄水場はこの時に設置されている。なお、疏水を掘り進める際に生じた砂は当時の滋賀県知事の許諾を得た上で、琵琶湖の埋め立てに用いられた。


平安神宮

1895年(明治28年)4月1日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として、平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。当初は実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたが、用地買収に失敗。1893年(明治26年)9月3日に地鎮祭が執り行われ、当時は郊外であった岡崎に実物の8分の5の規模で復元された。 1895年(明治28年)には平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を盛大に奉祝する為、時代祭が始まった。



 [引用元:Wikipedia]

イノベーション

4月が間近というのに、寒い日が続きます。

膨らみかけた桜の蕾も、咲くのを躊躇しているようです。

今週末、弊社のお花見会があります。

開花が気になるところです。

ピータードラッカーが「企業の目的は、顧客の創造である。」

「それ故に2つの基本的な機能を持っている。それは、マーケティングとイノベーションである。

マーケティングとイノベーションだけが成果を生む。それ以外の機能はコストしか生まない。」

と、言い切っています。

有名コンサルタントの小宮一慶さんが、「良い会社の会議は、

マーケティングとイノベーションの議題がほとんどである。」と喝破されています。

65歳で会長になると還暦を迎えた時に宣言したものの、

種々の事情で叶わず、社長続投せざるを得なくなった今、

再度経営書を読み返しています。

マーケティングはお客様が望まれる、商品サービスを見つけ出し提供することです。

これは、会社が存続するうえで最も重要なことです。

お客様が支持しない商品やサービスでは、すぐに見放されます。

さて、もう1つのイノベーションですが、オーストリア出身の経済学者

ションペーターの用語ですが、新製品の開発、新生産方式の導入、

新市場の開拓、新原料・新資源の開発、新組織の形成などによって発展をもたらすことです。

時代に合わせて、時代に先んじて変革する必要性を言っています。

言うが易し行うが難し。

時代はめまぐるしく変化しています。

顧客のニーズの短期間での変化、3Dプリンター、5Gなど革新的な新技術の出現、

考えてもみなかった市場の出現、働き方改革など企業を取り巻く諸条件は

息継ぐ暇もなく変化していきます。

老体に鞭を打ち、勉強するしかありません。

幸い、心身ともに絶好調です。

見た目も10歳若いと、言われることもあります。

頑張ります。

よろしくお願いいたします。

花粉が多く飛散しているようです。

花粉症にはつらい季節です。

如何お過ごしでしょうか?

2月に下の娘に長男が生まれ、孫が3人になりました。

私は娘2人でしたので、長女の長男と合わせて

2人の男の孫に恵まれました。

先日、上の娘に出来た2人の孫を連れてスキーに行ってきました。

普段一緒に住んでいないので、楽しくもあり慣れない気苦労もあります。

実の子供とは接する心持が違います。

まず感情的には怒れません。

嫌われたくないというのもありますが、実の子供のように厳しくは

躾が出来ません。

可愛さに癒されながらも、

行儀の悪さを見ながら、色々なことを考えました。

かつて私の知り合いで、孫と再婚相手に出来た子が同い年だという人がいました。

孫と子が喧嘩をしているの見た時、思わず孫を叱ったそうです。

やはり、本能的に孫より子により近いものをもってしまうものかもしれません。

理屈なく可愛いのですが、教育の責任までを負って嫌われたくないという、

ある意味無責任になってしまっているようです。

そんなことを考えながら、こんなことでは如何と感じ、

冷静に躾をしだした自分を振り返り、

やはり普段他人の大事な子供を預かり教育している

経営者の性が出たのかなと自分ひとり納得していました。

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